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2007年6月 2日 (土)

ドラえもん「最終回」

最近話題のドラえもん「最終回」。電池が切れたドラえもんを大人になったのび太が修理するというストーリーについてのネットでの評判を見ると「感動した」と多くの人が好意的な感想を持っていることに驚いた。
最初にこの話を聞いたときは、「それは思いっきり違うんじゃないの」という感想を持ったからだ。

いくらのび太が大人になったからって、時代は21世紀前半。22世紀の技術で作られたドラえもんを修理するには無理がある。実はのび太は大天才だったということにでもしないと、この無理は通らないだろう。

いくらのび太が一生懸命勉強したからといって、のび太のダメさ加減を考えると、実はのび太は大天才でしたというのは「イヤボーンの法則」以上のとんでもないご都合主義だ。それこそ「のび太のくせに生意気だ」といいたくなる。

そもそも、ドラえもんというお話は、ダメ少年のび太をまともにするためにドラえもんが未来からやって来たというものだ。逆に言うと、のび太がダメ少年であるからこそ、未来から来たドラえもんは作品世界にいる意味があるのではないか。

ある日、ドラえもんが目覚めたら、目の前にいるのはダメ少年のび太ではなく、大人になってしずかと結婚し、ロボット工学の第一人者になっていたのび太だったとしたら、ドラえもんの居場所はそこにあるのだろうか?
案外、藤子F不二夫自身そういう、何十年かぶりに修理されて目覚めたけどそこは自分の居場所ではなかったなんてネタも好きかもしれない。なにしろ「劇画・オバQ」(リンク先はネタバレあり)を描くような人だから。

ドラえもんのラストは、かつて藤子F不二夫自身が1970年代に描いたように、のび太がジャイアンとの喧嘩に勝つとか、自力で自転車に乗れるようになるとか、そのくらいがちょうど良いように思う。

まあ、確かに基本的にはいい話だから、これをドラえもんと切り離した作品として映画「ジュブナイル」が作られたりしたのだが。

ところで、故障したドラえもんをのび太が修理を試みるというエピソードも、実は藤子F不二夫自身が描いている。てんとう虫コミックス版「ドラえもん」第45巻に収録されている「ドラえもんが重病に?」というエピソードがそうだ。ドラミの登場や、それに絡んでのび太が勉強するというネタは、この「最終回」と奇妙に一致する。ひょっとして、このエピソードから思いついたのだろうか?

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コメント

結構、これよくできているんですよね。
(作画が原作に限りなく近い、話も悪くはない。)まあ、最終回のないお話に最終回をつくるというのはどうかなあと思うのですが、
これを一つの作品として読むとそれなりに読めるから不思議。

投稿: こぶたった | 2007年6月 2日 (土) 09時14分

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