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2007年1月26日 (金)

著作権の延長ですか…

著作権の保護期間を著作者の死後50年から70年にしようとする動きの賛成派の意見がITMediaに載っていた

そもそも、著作権の保護期間が有限なのは、著作物は過去の著作物の上に成り立っているから、ということなのであるが…

日本音楽作家団体協議会の川口真理事長は「著作権が流通の邪魔になっている“悪者説”もあるが、経済的な合理性ばかりを見ていてよいのかな、と思う。作家のインセンティブや、創作物をみんながどう評価するかも考えるべき。私は世の中に音楽があふれてほしいし、そのために音楽著作権がしっかりする必要がある」とした。
確かにその通りだと思う。だけど、著作権悪者説は利用者のことを顧みず、自分たちの権利だけを声高に叫んでいる著作権団体の存在も大きいと思う。 結局は、著作者、利用者双方にメリットがある著作権システムを作るべきであろう。
「50年で十分保護しているだろうという意見は、作った側が言うなら納得できれば、使う側の人に言って欲しくない。そんな権利は誰にあるんだ」
著作権は、著作物を利用する権利と衝突する。 したがって、著作権を声高に主張すると、「オレの権利は認めろ。だが、お前の権利は認めない」という事にもなりかねない。 確かに、著作権を軽視すると文化の破壊につながりかねないが、著作権で著作物の利用をがんじがらめに縛ってしまうと著作物の利用が不便になり、かえって文化の衰退につながりかねない。
「パブリックドメインになると、作詞した歌をパロディされるとか、安易な使われ方、不快な使われれ方をすることも十分考えられる。自分の歌をパロディにはしてほしくないと思うから未来永劫に守ってほしい。それが無理ならできるだけ長くして欲しい」
当然ながら、著作権には著作物を利用することを強制する権利はない。だから、著作権で保護すれば、単純なパロディにされることは防げるかもしれない。しかし、著作物が世の中から忘れ去られることは防げない。 その一方で、巧妙に作られたパロディは著作権の保護で取り締まれるだろうか?

ところで、クリエーターたちは、自分の作品のパロディが世間に出回るのと、自分の作品が世間から忘れ去られるのとでは、どっちが不快だろうか、聞いてみたいものである。

クラシックの名曲のメロディに歌詞を付けた歌がポップスとしてヒットすることが時々ある。
だからといって、原曲が忘れ去られるということがあるかというと、もちろんそんなことはない。
逆にそんな歌も数ヶ月経つと大抵飽きられている。
パロディだって、オリジナルを知らないと、おもしろさはかなり減るものだ。

ところで

日本は太平洋戦争敗戦時に、連合国の著作物について、保護期間に戦争期間(10年)を加算する「戦時加算」が義務づけられた。三田さんは「日本と同様に戦争に負けたドイツやイタリアには戦時加算はないし、60年以上前に終わった戦争の傷跡を引きずるのはおかしい。早急に解決せねばならない問題」としながらも、「日本の保護期間が50年のままだと申し入れをすることもできない」とし、まずは70年に延長して対等の立場に立つことが先決とした。
おお、これが実現すると、とても素晴らしい。
戦時加算はサンフランシスコ講和条約により定められたものだ。逆に言えば、国内法の整備でサンフランシスコ講和条約の一部を無効に出来るならば、それをきっかけとして千島列島や南樺太の放棄も無効にすることも可能ではないか。どうせやるなら、そこまでやって欲しい。

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