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2006年4月11日 (火)

イスカリオテのユダは裏切り者ではなかった?

最近、「ユダの福音書」の写本なるものが解読されたそうで、それによると、ユダがキリストをローマの官憲に引き渡したのは、キリスト自身の指示によるものだそうだ。
キリスト教は、キリストが人間の罪を背負って十字架にかけられたことで、人々が救われるということなので、キリスト自身が自ら十字架にかけられるように行動したとしても、不思議ではないと思う。
しかし、十字架にかけられたことをそのように解釈することによって、キリスト教が成立したとも思える。

バッハの「マタイ受難曲」(これは新約聖書の「マタイによる福音書」からテキストを採っている)を聴くと、ユダはキリストを裏切った極悪人とは描写されておらず、キリストを裏切ったことを後悔し、裏切りの代償として得た銀貨30枚を神殿の長老達に投げ返して、首をくくって死んだことになっている。
一般的には、キリストを十字架にかけるという判決を下したことで悪名高い総督ポンテオ・ピラトも、民衆に押し切られた描写になっている。
結局、誰が悪いかというと、長老達に煽動され、キリストを十字架にかけるよう要求した民衆だ。
なにしろ、最後の晩餐で、キリストが「この中の1人が私を売るだろう」というレチタティーヴォの後に"Ich bin's"(私です)などというコラールが入る。この「私」は無節操な民衆の1人という意味だ。

「マタイ受難曲」を聴いてしまうと、裏切り者の代名詞となったユダが不憫に思えてならない。
だからといって、キリストの指示で裏切ったというのは、ちょっと行き過ぎだと思うが…

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